松井美由紀国際交流3年
平成13年7月完成
一体、私は万葉集の何に惹かれているのだろうか。新しいものにすぐ飛びつきたくなる私が、なぜ日本最古の歌集に魅力を感じるのだろうか。私だけではない。日本中、いや世界中で万葉集は愛されているのである。毎年、全国のあちらこちらで万葉集に関するイベントやセミナーが開かれている。私の故郷・富山でも三日三晩、万葉集の歌を次々と詠み続ける「万葉朗唱の会」が毎年夏の終わりごろに開かれるが、毎回参加者が殺到し、主催者はうれしい悲鳴をあげていると聞く。万葉集の人気ぶりにはただただ驚くばかりである。1300年も前の歌集が、これほどまでに現代に生きる私たちの心をとらえ、そして、後世に残さねばという気持ちを起こさせる。なぜだろうか。
「万葉集の正体は混沌にある」と中西進氏は言う(1)。万葉集には同じ歌が二度出てくることもある。しかも作者が違っている。これは全20巻が一時に、整理された体裁をもって作られたわけではないからである。だから、万葉集の内蔵する精神を自由だともいえる。形式にこだわらない。誰が作った歌かなどは、第二、第三の問題で、歌がおもしろければ人気を博していつまでも歌い継がれた。和歌の形体も、長歌、短歌、旋頭歌、仏足石歌、連歌と多様である。『古今集』が長歌5首、旋頭歌4首以外すべて短歌だというのとは大違いである。
また、奈良女子大学教授・坂本信幸氏は次のように言う。「万葉集の魅力は、何といってもそれが我が国の文学における誕生期の文学であるということにあろう。我々が何時になっても、自己形成期である青春の懐かしい思い出を忘れることができないように、万葉集は国文学の故郷として、忘れ難くそこにある」。(2)つまり不恰好でありながらも率直な力強さをもつ「若さ」に私などは愛着を感じ、常に立ち返らざるを得ないのだろう。
ところで、「万葉集」という書名は、どのような意味合いで名づけられているのだろうか。これまで、いくつかの解釈が考えられてきたが、真実はともかく、私が採用したいものは「万の言の葉の集」というとらえ方である。古今和歌集の仮名序に「やまとうたは人のこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける」(和歌は人の心を種として、その種から多くの言葉が茂り栄えるようになった)という有名な一文がある。これは、大変心惹かれる解釈である。万葉の一首一首は、現代の我々から遠く隔たった遥かな世界に生きた人々の心から生まれている。歌の良し悪しを云々する前に、まずこのことをしっかり頭に入れておきたい。
さて、今回私はテーマとして万葉集の中の、特に恋の歌を選んだ。万葉集を読んでいてまず感じられるのが、恋の歌つまり相聞歌が非常に多いということであるからだ。いつの時代にも当然、恋はあったし、恋の歌もたくさんあった。しかし万葉集ほどそれが数多く、かつ生き生きと歌われた例は他にあまり類がない。民謡的な恋歌、農村の牧歌風な、あるいは甘美な情緒がよどみなく歌い出されているのである。このような歌が万葉集には多い。万葉人はかなり自在に恋歌を作ったもののようである。彼らにとって恋の歌を作ることは、狭義の文学であるというより、生活上欠かせぬ技術であった。男が先に歌で、おそらくは無邪気を装って、問い掛けてくる。女はその暗示を読み取り、からかったりはぐらかしたりしながら、口疾くそれに歌い返す。こういう形で求婚が成立したのだ(3)。相聞歌は男女間の一種の歌合戦またはゲームであったとも言える。そしてこういう生活伝統の生きているところでは、人はほとんど会話の一部でもあるかのように即座に歌をなすことができたはずで万葉の相聞歌の口つきがすこぶる自在なのも、これによるものと考えられる。その集団的基礎は、歌垣、あるいは嬥歌とよばれる性的解放の祭りであったらしい。この祭りの日には近郷近在の男女が一定の聖所に会し、結婚の相手を決めるわけだが、その掛け合いが歌でなされたのである。万葉集において、贈答を目的として、相手の歌を引き出すために詠まれる、いわば挑発の歌が残るのは、こうした歌の発生の過程から見て当然といえる。
「恋」とは、万葉集では「孤悲」と表記されるように、直に逢うことのできない相手を想う気持ちをいう。先ほども述べたが、万葉集には恋の歌が多い。その理由の一つが結婚形態にあるといえよう。今日の男女は大概、付き合って、結婚式を挙げ、新婚旅行に行き、一緒に住む。相手を恋しく想うひまなどない。ところが、万葉時代は夫婦は相当長い間別居である。(ゆくゆくは一緒になるが)それで、両方でもって「恋し合う」ことが多いのだ。
万葉時代の人々は、恋という感情をどのようにとらえ、またどのような言葉を用いて表現したのだろうか。以下、万葉集4500首の中からいくつかの恋歌をとりあげ、私なりの評価を述べてみたい。
まずは、相思相愛の二人が交わす、大変息の合った相聞歌を一つ見てみよう。
MYS U−107 大津皇子、石川郎女に贈る歌
あしひきの 足日木乃
山のしずくに 山乃四付二
妹待つと 妹待跡
我立ち濡れぬ 吾立所沾
山のしずくに 山乃四付二(4)
MYS U−108 石川郎女が和へ奉る歌
我を待つと 吾乎待跡
君が濡れけむ 君之沾計武
あしひきの 足日木能
山のしずくに 山之四附二
ならましものを 成益物乎(5)
大津皇子は石川郎女を待っていたのだが、彼女はとうとう来ず、「君を待っていて雨しずくに濡れてしまったよ」と詠いかける。これに対し郎女は後で「そのしずくになりとうございます」とうまく切り返す。媚態を示した大変女らしい語気になっている。郎女の歌は受身でも機智が働いているので、これだけの親しいものになった。共に互いの微笑をこめて唱和しており、はたから見ても大変ほほえましいやりとりである。郎女の巧いところは、相手の歌中の言葉をほとんど反復することによって相手を立て、自分にとっての相手の存在の大きさを十分に表しているところである。手紙のやり取りの中で、自分が述べたことに対し相手がその言葉を取り入れて答えてくれるとうれしいものだ。石川郎女が相手のこのような心理を利用してこの歌を詠んだのなら、彼女は恋愛の達人だ。
次は対照的に、女性の片思いの歌である。
MYS W−607 笠郎女が大伴宿禰家持に贈る歌
皆人を 皆人乎
寝よとの鐘は 宿与殿金者
打つなれど 打礼杼
君をし思へば 君乎之念者
寝ねかてぬかも 寐不勝鴨(6)
皆の者、寝よとの合図の鐘は鳴っているが、愛しい人のことを思うと眠ることができないという笠郎女の片恋を嘆く歌である。
当時、都では夜の10時になると「皆さん、もう寝る時間ですよ」という鐘が4つ打たれた。日本の鐘は、余韻が長く残る。この歌もそのイメージとともに、長く心に響く。この歌は特に、「皆人を寝よとの鐘は打つなれど」という前半部分に表現の新鮮さを感じる。万葉集は、初期の方では真実をそのままに打ち出すような歌が多いが、笠郎女の歌になってくると大分変ってくる。歌人として立派な歌詠みが、修練に修練を重ね、洗練された歌を作っていて、恋の心持はたくさんあるが、率直な気持ちを打ち出さずに、雅に遊ぶという傾向も見られるようになる。そしてそのことがだんだんと初期の素朴さというものとは違った魅力を生んでいくのである。平安の時代へとつながっていく息吹が育まれつつあるといえよう。その意味で、笠郎女は大変意義深い歌を後世に残してくれたようだ。
笠郎女はこの歌を含め24首もの歌を大伴家持に贈っているが、家持は2首しか返歌していない。そのうちの1首は、「なかなかに 黙もあらましを なにすとか 相見そめけむ 遂げざらまくに」(いっそのこと黙っていればよかったのに、何のために逢いそめたのでしょう。添い遂げられそうにないのに。)(7)と言っており、つまり家持は自分から声をかけておきながら、笠郎女の気持ちには応えることができないと告白したのである。この事実を知った上でもう一度郎女の歌を読むと、彼女の苦しい心持がよりいっそう悲しい響きをともなって胸に染み入ってくる。
さて、次は前述の笠郎女を苦しめた当の本人、大伴家持の歌である。
MYS V−464 家持、砌の上のなでしこが花を見て作る歌
秋さらば 秋去者
見つつ偲へと 見乍思跡
妹が植ゑし 妹之殖之
やどのなでしこ 屋前乃石竹
咲きにけるかも 開家流香聞(8)
この歌について万葉集には、「十一年己卯の夏六月に、大伴宿禰家持が亡ぎにし妾を悲傷して作る歌」と書いてある(9)。十一年は西暦739年であるが、当時22歳だった家持は数ヶ月前に亡くなった妻を偲んでこの歌を詠んだようである。「秋がきたら見て私を偲んでください、と言って妻が植えた庭のなでしこが咲いたよ」と事実を淡々と述べている。いかにも家持らしい、情熱を表に出さない歌ではあるが、なんとなくそのへんが日本人の美意識をくすぐるのであろう。
家持は越中国司時代、国庁の庭に花をたくさん植えて、やりきれない気持ちをまぎらしていた。家持の生涯で花を詠んだ歌は135ほどあるが、その中でも越中だけで70ある(10)。それは、花が好きだというだけではなく、花を通して妻を思い、望郷の思いを訴えていたのである。
さて、この歌と同じく花を見て亡き妻を偲ぶ歌がもうひとつある。
MYS V−469 読人不詳
妹が見し 妹之見師
やどに花咲き 屋前尓花咲
時は経ぬ 時者経去
我が泣く涙 吾泣涙
いまだ干なくに 未干尓(11)
「妻が見た庭に花が咲いて、時は過ぎた。私の涙はまだ乾かないのに。」と詠うこの歌は、前掲の家持の歌と、情景は同じである。しかし、家持が事実を並べるだけで自分の感情を言葉に表していないのに対し、この歌でははっきりと自分の涙を見せている。家持の歌の方が洗練されていると言う人もあるだろうが、この読人不詳の歌はいかにも万葉集らしいストレートさがあり、感動を素直に伝えることを躊躇していない。私の心により深く働きかけたのは、こちらの方の歌であった。
MYS V−408 大伴宿禰家持が同じ坂上家の大嬢に贈る歌
なでしこが 石竹之
その花にもが 其花尓毛我
朝な朝な 朝旦
手に取り持ちて 手取持而
恋ひぬ日なけむ 不恋日将無(12)
大伴家持は、22歳の時に「妾」を亡くして以来悲しみの歌を作りつづけるが、その後、叔母・大伴坂上郎女の娘、坂上大嬢と音信を交わすようになる。家持と大嬢は後に夫婦となるが、大嬢はこの時まだあどけない少女であった。この歌は、そんな大嬢に家持が贈った歌である。「なでしこの花であなたがあればよかったのに。そうしたら毎朝手にとって、いとおしまない日はなかったでしょう。」という、かわいらしい内容のものだ。妻を亡くしてまだ日が浅い家持がこの時、大嬢に対して恋愛感情があったかどうかは疑わしいが、仮にこれが恋の歌であったとしても、先にあげたT−107,108の相聞のような歌とは、恋の色艶といった点において、大きく差がある。年下の幼い娘をあやすような、恋の情熱には欠ける歌調である。とはいえ、「あなたが花であったら・・・」というすばらしい発想にはやはり家持の才能を感じざるを得ない。
ところで、家持は例の「妾」を偲んで詠った歌(V−464)の中にも、「なでしこ」を使っていた。なでしこという花は、家持にとって女性関係において重要なかぎを握る小道具なのかもしれない。
万葉集の中には、次の歌のように非常にスケールの大きな恋歌もある。
MYS W−497 柿本朝臣人麻呂が歌
古に 古尓
ありけむ人も 有兼人毛
我がごとか 如吾歟
妹に恋ひつつ 妹尓恋乍
寝ねかてずけむ 宿不勝家牟(13)
「古に生きていた人も私と同じように、妻を恋い慕って眠れなかったのだろうか。」と嘆くこの歌は、家持の「なでしこが〜」(V−408)のような歌とは対照的である。大変、焦点が深く視野が広い。遠い目をして詠う人麻呂の表情が目に浮かぶようである。
さらにこの歌に対し、「今のみの わざにはあらず 古の 人そまさりて 音にさへ泣きし」(W−498)という歌が返されている(14)。「今の世だけのことではありません。古の人こそもっと、恋の苦しさに声を放って泣きさえしたものです。」という意味だが、この二つの歌は読む者に遥かな時の流れを感じさせてくれる、不思議な響きを持つ歌である。あたりまえのことかもしれないが、昔の人も、そのまた昔のことに思いをめぐらせていたんだなと改めて気付く。
次は、万葉初期の女流歌人・額田王の大変有名な歌である。
MTS W−488 額田王、近江天皇を思ひて作る歌
君待つと 君待登
我が恋ひ居れば 吾恋居者
我が屋戸の 我屋戸之
簾動かし 簾動之
秋の風吹く 秋風吹(15)
天智天皇の後宮の一人だった額田王が、天智を思って作った歌である。「あなたの訪れを待って、恋しく想っておりますと、私の家の簾を動かして秋の風が訪れてまいります。」と、なんとも情緒あふれる優しい調べの歌である。私が万葉集の中で最も好きな歌の一つだ。古代、風の吹いて来るのは、恋人の来る前兆だという一種の信仰のようなものがあったという(16)。ここでは、訪れてきたのは恋人ではなく、秋風だったという作者の落胆とともに、肌に心地よい秋風が、次こそはあの人がいらっしゃるかもとの期待を抱かせたという二重のストーリーがある。これだけの内容をたった31文字に込められるものかと、つくづく感心する。
“This fine tanka evokes the sudden
hope caused by the stirring of the window blind
and blends a seasonal sadness with human
longing in its effective last line.”とエドウィン・クランストンが言っているように(17)、この歌は最後の句「秋の風吹く」が大変大きな位置を占める。歌の情景をイメージしてみたとき、不思議なことにそのフレームの中には恋人を待って座っている額田王の姿は入らない。あくまでも焦点は簾をゆらして吹き込んでくる秋の風にある。風がこの歌の主役なのである。
さて、この歌の次(W−489)に、鏡大王の追唱した歌として「風をだに 恋ふるはともし 風をだに 来むとし待たば 何か嘆かむ」というものが載っている(18)。「風だけでも恋い慕うというのはうらやましいことです。せめて風だけでもやってくるだろうと待っていられるのなら、何を嘆くことがありましょうか。」と言うこの歌は、額田王の姉である鏡大王が、自分に対する天智の寵愛が衰えたのと入れ代わりに愛され始めた額田王が「君待つと〜」の歌を詠んだのを受けて、後で追和したとされている。自分には誰の訪れもない嘆きを詠っているものだが、一体どのような時に詠われたものなのか詳しいことはわからない。今風にいえばよくある三角関係だが、姉妹間なだけに様々な想像を掻き立てるやりとりである。
MYS ]Y−4222 九月三日の宴に掾久米朝臣広縄が作る歌
このしぐれ 許能之具礼
いたくな降りそ 伊多久奈布里曾
我妹子に 和芸毛故尓
見せむがために 美勢牟我多米尓
黄葉取りてむ 母美知等里氐牟(19)
この歌の作者、久米広縄は、大伴家持が越中守として今の富山県に赴任していたころ、家持のもとで役人をしていた人であるが、家持とは公私両面でごく気の合う主従だったらしい。(20)「時雨よ、あまり降るなよ。妻に見せてやるためにこの美しい紅葉を折り取ってやるのだから。」と詠うこの歌は、広縄の自宅に家持がやってきて宴会をしたときに作られたものである。歌の背景には、奈良に妻を置いたまま越中に赴任している広縄の旅愁がただよう。美しい紅葉を背景に、しとしとと静かに降る時雨と、広縄の優しさが相まって穏やかな空気を感じさせる歌である。
これに対し家持が追和した歌は、
MYS ]Y−4223 あをによし 奈良人見むと 我が背子が
標めけむ黄葉 地に落ちめやも(21)
「奈良にいる妻に見せようとあなたが標をした紅葉がむなしく地に落ちるようなことはなかろう」という暖かい励ましの歌である。「標む」とは自分の愛する女性を他人に奪われないように、契り固め、守ることを意味する。広縄が、遠く離れ住む妻を他人が奪うようなことはないだろうかと案ずる気持ちを、家持は察したものと思われる。
次に、しばしの間離れ離れになる夫婦の間の相聞を見てみよう。
MYS ]X−3584 読人不詳
別れなば 和可礼奈波
うら悲しけむ 宇良我奈之家武
我が衣 安我許呂母
下にを着ませ 之多尓乎伎麻勢
直に逢ふまでに 多太尓安布麻弖尓(22)
MYS ]X−3585 読人不詳
我妹子が 和伎母故我
下にも着よと 之多尓毛伎余等
贈りたる 於久理多流
衣の紐を 許呂母能比毛乎
我解かめやも 安礼等可米也母(23)
「別れたら悲しくなりますよ。私の衣を肌に着けていらしてください。直に逢う日まで。」と言うかわいい妻に対し夫は「おまえが肌に着けるようにと贈ってくれた衣の紐を私は解くものか。」と、旅中の自分も常に妻を想い、操を守り通そうという誓いを込めた完璧な返歌を贈っている。この二つの歌においても、前掲のU−107,108の相聞のように相手の言ったことを繰り返すことによって親しみの情をさらに強く表すことに成功している。古今集以降では、このような素朴で率直な愛情表現は見られない。非常に万葉らしい、飾り気のないやりとりであると同時に、現代においても共感を得やすい、「古くない」作品である。
またここでは、再開の日まで、相手の衣服を肌身離さず着用したり持ち続けたりする、当時の風習がうかがえる。日本人は、衣にせよ袴や裳にせよ、着るときに締め留めるため紐を使い、そして紐を結ぶこと、紐を解くことに特別な思いを抱いていた(24)。ここでは特に取り上げないが、このような感情を詠った歌が万葉集にはたくさんある。
次は、万葉集の中でも最も純粋な恋の歌と言っても過言ではないと思う一首だ。
MYS ]W−3400 読人不詳
信濃なる 信濃奈流
千曲の川の 知具麻能河泊能
小石も 左射礼思母
君し踏みてば 伎弥之布美弖婆
玉と拾はむ 多摩等比里波牟(25)
「信濃の千曲の川の小石だって、あなたが踏んだのなら美しい玉だと思って拾いましょう」という、なんともかわいらしい素朴な歌である。初恋に胸をときめかす少女の姿が鮮やかに脳裏に浮かぶ。規模こそ小さいものの、実にストレートに心に伝わってくる良い作品だ。現代に生きる我々も皆、この歌のような感情を抱いた経験があるはずだ。やはり歌というものは、共感できてこそ何度も口ずさみたくなるし、時代を超えて愛されるのだということを改めて感じさせてくれる歌である。
さて、現代人と古代人とでは恋愛の仕方がいろいろな面で異なるが、その一つに、次の歌に見られるような“忍ぶ恋”がある。
MYS ]−2274 読人不詳
臥いまろび 展伝
恋ひは死ぬとも 恋者死友
いちしろく 灼然
色には出でじ 色庭不出
朝顔が花 朝容皃之花(26)
「転げまわって片思いに苦しみ、ついには焦がれ死にしてしまおうとも、決してありありと表情に出したりはすまい、あの朝顔のように鮮やかな色には。」というこの歌は、現代の感覚からすれば少々つかみにくい心情を詠んでいる。
このような“忍ぶ恋”の背景には、相手を思う胸の内や相手の名を口にすると、祟りがあり不吉な結果を招くという強い信仰上の理由があったと考えられる(27)。上の歌と並んで出ている歌も、「言に出でて 言はばゆゆしみ 朝顔の ほには咲き出ぬ 恋もするかも」(28)と詠んでいる。「口に出して言えば不吉なので、朝顔の花のように鮮やかに色を外にあらわしたりはしない。そういうつらい恋をわたしはしているのだ。」という意味だが、恋愛はあくまでも二人の間の秘め事であり、周囲の人に悟られないように常に気を使っていたようだ。万葉集に「人言」(人のうわさ)を意識した歌が多いのもそのためである。
ところで、上の2首にはともに「朝顔」が出てくるが、自分の心情を表に出すことを朝顔の花に例えていることはおもしろい。鮮やかな色をした花は他にもたくさんあるのに、なぜ朝顔が使われるのだろうか。夜一緒に過ごすと、翌朝の二人の表情にそれがありありと出るので、朝に咲く鮮やかな花、朝顔が比ゆに使われるようになった、というのは考えすぎだろうか。いずれにしても、「忍ぶ恋」というのはロマンチックな響きがあり、可憐に咲く朝顔の小さな花は二人の恥じらいをよく象徴している。
次に、同じく忍ぶ恋だが、表現におもしろさがある歌を一首選んでみた。
MYS ]U−2987 読人不詳
梓弓 梓弓
引きて緩へぬ 引而不緩
ますらをや 大夫哉
恋といふものを 恋云物乎
忍びかねてむ 忍不得牟(29)
「ますらを」という言葉は、たけく勇ましい男をいう。そのような、精神的、肉体的に強いはずの男でも、恋という目に見えない熱情に対してはどうすることもできないのかという自嘲を含む一方で、そんな恋に対する興味や新鮮な驚きといったものがよく表れている。
「家にありし 櫃に鏁刺し 蔵めてし 恋の奴の つかみかかりて」という穂積親王の歌もおもしろい(30)。「家の長櫃に錠をして閉じ込めておいたのに、恋の奴め、つかみかかりおって」という愉快な歌である。上の歌と同様ここでも、作者は恋をしてしまったことを後悔しているわけではないのだ。こんなにも自分を苦しめる恋だが、その感情に出会ったうれしさがこれらの歌にはにじみ出ており、憎まれ口をたたきながらも微笑ましい歌になっているのだ。
万葉集には、自然現象に自らの思いを投影して詠んだ歌が多く見られる。次の2首には
特にそれが色濃く出ている。
MYS ]X−3580 読人不詳
君が行く 君之由久
海辺の宿に 海辺乃夜杼尓
霧立たば 奇里多多婆
我が立ち嘆く 安我多知奈気久
息と知りませ 伊伎等之理麻勢(31)
「あなたが行かれる海辺の泊りに霧が立ったら、私が立ち嘆いている息だと思ってください。」と別れを惜しむ妻に対し、おそらく夫が返したのであろう歌は、
MYS ]X−3615 風速の浦に船泊まりする夜に作る歌
我が故に 和我由恵仁
妹嘆くらし 妹奈気久良之
風速の 風早能
浦の沖辺に 宇良能於伎敝尓
霧たなびけり 奇里多奈妣家利(32)
「私のために妻が嘆いているようだ。風速の浦の沖辺に霧がかかっている。」というものだ。別れてから何日経って詠んだ歌かわからないが、出発の時に妻が贈ってくれた歌を忘れずにその内容を踏まえた歌を返しているところに夫の深い愛を感じる。夫の歌は、独り言のように詠まれているが、大きな声で妻に叫び聞かせたい、そんな独り言のはずだ。「おまえの嘆く様子を見た私もまた、おまえのことを恋しく思っているよ」と、霧を仲立ちにしてお互いの存在を再確認する夫婦の姿が見てとれる。
この歌のように、霧を嘆きの息の化したものとする考え方が当時あったようだが(33)、そのような古代人の着想の豊かさには本当に感服する。万葉集には恋の歌が多いが、私はあなたが好きだとか愛して愛してやまないとか、離れられないとか、そんな概念的な言葉を使わない。愛の気持ちが、常に形を備えて具象的に表現されているのである。恋する者にとっては、自然界のすべてが自分の心を映す鏡である。万葉人はそれを表現するボキャブラリーを豊富に持っていたようだ。
次に、一風変わった激しい相聞歌を紹介する。
MYS ]X−3724 中臣朝臣宅守と狭野弟上娘子とが贈答せる歌
君が行く 君我由久
道の長手を 道乃奈我弖乎
繰り畳ね 久里多多祢
焼き滅ぼさむ 也伎保呂煩散牟
天の火もがも 安米能火毛我母(34)
MYS ]X−3727
塵泥の 知里比治能
数にもあらぬ 可受尓母安良奴
我故に 和礼由恵尓
思ひわびらむ 於毛比和夫良牟
妹がかなしさ 伊母我可奈思佐(35)
天平10年前後、中臣宅守という宮廷人が、蔵部の司の女嬬という下級の女官の狭野葇上娘子と恋をした。そしてそのために、男の方は越前に流された(36)。その流された男と、都に残る娘子との恋愛贈答歌である。「君が行く〜」は、男が越前に流されて行くときに娘子が詠んだ歌で、「あなたが越前へいらっしゃる長い道中を、全部たぐり寄せてたたみ込んで、燃やしてしまうような天の火でもあればいいのに」というものである。娘子が宅守の行くであろう越前の長い道を想像していたら、たまらなくなって加速度的に滝のように激情がほとばしり出てくるのだ。非常に情熱的な力強い歌であり、また表現の斬新さを感じる。女性の歌にしては誇張が強すぎるとも言われそうだが、女心とは実際このようなものである。立派な女心を詠んだ歌である。
そしてこのような情熱的な歌に対して男が返した歌は、「塵や泥みたいに、ものの数でもないこのつまらない私のために、あんなにも思い悩んでいるであろう彼女のことを思うと切なくてたまらない」。これはまた、男心をよく出していると思う。娘子が贈った歌の情熱的な恋の激しさに対して、あまりに冷たいという意見もある(37)が、私はそうは思わない。もしこの男が、女の歌のように情熱的に叫び出したら、なんだか頼りないような気がする。男の方はやはり、静かに自らを省みるべきであり、その中から深い愛が湧いてくる切なさが、この歌にはよく表れていると思う。
最後は、大伴家持の叔母・大伴坂上郎女の苦しい片思いを詠んだ歌である。
MYS [−1500 大伴坂上郎女の歌
夏の野の 夏野之
繁みに咲ける 繁見丹開有